昭和54年2月13日 朝の御理解


 御理解第32節 「女が菜園に出て菜を抜く時に、地を拝んで抜くというような心になれば、おかげがある。また、それを煮て食べる時、神様いただきますというような心あらば、あたることなし。」

 本当にこの、三十二節にある、見教えの一つ一つの言葉というものは、金光様のご信心というものは簡単なものだなあという感じが致しますね。女が菜園に出て、野菜を抜く時に大地を拝む心あらばと、またそれを煮て食する時に、神様頂きますという心あらばあたる事なし、たったそれだけでおかげがあるとか、障る事あたる事なしと言い切ってあるのですけれども、果たしてそうだろうかと。なら今日からいっちょそういう風にしようと、いうたからでは、やはりおかげになると言うことじゃないのですよね。やはり。ですから、この御教えを本当に実証する為にはその大地を拝むというその内容が分からなければならない。また、頂きますという心あらばというその、頂きますという内容が、なからなければ、それこそ幼稚園の子供でも、仏教関係の幼稚園に行くと、(?)であって、仏様、頂きます、と言うようなことは教えるのです。金光教でもそうです。○少なんか、もうそれこそ大人よりも御神訓を唱えて、お食事させて頂いておりますでしょうが。それでいてもやっぱりなら、おかげがあるとか、障らないとかということじゃないです。
 だからここにあるところの大地を拝む心、神様頂きますというその頂きますという心の内容が確かにこういう内容を持っての頂きますであり、大地を拝むと言う心になれば、おかげになればおかげあるのであり、障る事あたる事ないという、いわゆる教祖の簡単な言葉を実証するものは私は合楽理念より他になかろうと思うのです。合楽理念を内容としたところの大地を拝むであり、合楽理念を内容としたところの頂きますと言うことになれば障ることもないでしょう、おかげがあるということにも私はなると思います。
 ね。昨日、私、夕べ、夕べ遅かったのです。十二時ちょっと過ぎとりましたでしょう。そして御祈念を終わりましたら、ちょうどあの、宮崎から若先生達一行が帰って参りました。そうしよったら、福岡の昨日は共励会でしたから、福岡行った先生方も一緒にどうやら帰って参りました。で、ちょうど佐田さんところの、宮崎のね、謝恩祭に引き続いて、翌日、昨日は、宮崎の十三日会を一日繰り上げてせっかく若先生が見えておるから、皆延岡高鍋、全部ご信者さんかた、その、連絡をとりましてね、そして、宮崎で昨日あの、十三日会をとにかく、午前中からとにかく、もう、あちらの方達の信心に対する貪欲さというかもう驚いてしまうた。もうよっぽどこちらが生き生きとしたものを持っておらなければ、もう、とてもたまることじゃないというように、何時間ですか五六時間以上も、ずっと共励し続けたと言っております。それでその、会の始まる午前中でしょう。佐田さんのご案内で宮崎神宮ですか。そすと、あの、あそこは何とか言うですね、高い塔のあります、世界中の石を集めて創ったという八光一宇のね、塔がある。いわゆる戦時中に、それこそ軍の力であれは作り上げたものですけれども、私共も宮崎行く時にあちらにまいりました。けれども気が付かなかったのですけれどもね、昨日は有り難いことのつくめであったというてお話いたしますのに、あの、高いあの、塔の四角い四面のところにその、士農工商という彫刻がしてあるそうですね。
 その、説明を聞いてから、絵葉書を求めて帰っておりましたが、その、まさしく、士農工商のね、士はあらぶる御霊、農はなぎ御霊、工は、何々の魂、御霊と言う風にもう合楽で頂くご理解をそのままにですね、その、いろんなその、人物のその彫刻がしてある、あの、絵葉書を頂いて帰っておりました。そして、まあ改めて思わせて頂いたことですけれども、もう本当に合楽にかけられる神様の願いというものは大変なものだということをやはり感じました。八光一宇というその、話をさせて頂いて、八光一宇というのが当時のいうならば、その、軍が作りだしたというような言葉ですよね。いうならば世界中に日本の意欲を示しまた、そういう、精神にならなければいうならばいうなら世界を、いうなら宇宙を八光一宇で塗りつぶそうというような勢いの言葉だと私は思うのですけれども、今ごろ八光一宇なんかというたって、誰も見向きもしませんし、また、その時の精神を持ってすれば、そうだと思うのですけれども、それを八つの光、そして一宇とすることになると合楽精神だと思うのです。世界に和賀心時代をというのなんです。ね。世界に十三日をというそれなんです。ね。
 今度の、共励会には、お初穂を預かっております中に、昨日全部見せて頂きましたら、あれは、何とか公正会という宗教がありましょうが、立正佼成会か、会の会長という何々というそのお初穂がありますもん、これは何かというたら、その、立正佼成会の会長だそうです。それがその、合楽のまあ、話を聞いて前から聞いておりましたけれども、もうその合楽の教え、合楽理念に帰依してしまって、一遍先生方のお話を聞いてみたいというて、大変その打ち込んで合楽のお話を聞かれてまあいうならばその、お話と合楽で起こっておるそれを聞き合わせて、もうほとほと感心されたと。そして、手紙がこうしてことずかってきているんですよ。お初穂もことずけてあるのですよ。
 というようにですね、それはもう、金光教よりもずいぶん大きい宗教なんですよね。立正佼成会というのは。日蓮様の一派なんです。ですから本気でね、いろんな宗教を極めたら人がね合楽理念を見たら飛びつくほどしの内容を持っておると言うこと。その飛びつくほどしの内容というのが、いうなら頂きますであり、大地を拝む心なんです。だから、拝めば障らんか、いうなら頂きますといやおかげになるかと、いうと合楽理念を通しての大地を拝むであり頂きますということにならなければ私はいわゆるそういうおかげにもつながらないし、障ることないという私が自分の体で、また、合楽教会に表しておるというおかげにはならない。そこでです、そういう、内容を持っておる合楽の信心を本気でマスターさせてもろうて、いわばいよいよ元気な心で信心しなければならない。
 ただ話をこう薄らばっとこう聞いとるだけで、ただお取次ぎを頂いておかげを頂きましたというだけのものではなくて、根本的な助かりのところに重りをおかなければならないということです。そしてそれを八光一宇の精神に基づいて合楽理念をいよいよ合楽理念足らしめる。十三日え、いわゆる放生会の精神を世界の一人一人の人に分かってもらえる。本気で幸せになりたいというて一生懸命技術を身につけたり力を得たり、いろんなまあ、金儲けの手立てを例えばこうじてもそれで幸せに人間がなれれるのじゃないのだと。宗教によるほかにない、宗教も真の宗教によるほかにない。その真の宗教もそんならどこに焦点が置かれるかと言うと、心であり、和賀心である。これを求めて私がいつも申します、和賀心学なるものが世界中に広がってそれを勉強しなければならないというようなあの、内容に、私は立正佼成会の会長さんという方も私は感じられたのではないかとこれは思うわけです。ね。なるほどこれならば世界のどんな隅々までも、広げていけれるのだと。そしてそのおかげが、はっきりとその、生き方にならばこういうおかげが、いうならば商売は合楽理念を持ってするほかにない。百姓は、何々は、いわゆる海外布教は合楽理念を持ってするほかにないということを分からせてもらう。そこを分かった時にです、合楽理念というものがどういうものか、教祖金光大神が大地を拝むとか頂きますというその金光大神の言われる精神というものをどういうものかというものを分かる。為にはただ、お話を頂いただけではいよいよを持って先日から申しますように、それを実験して実証していかなければ人はついてこない。
 昨日は高山さんところの、正式な改式祭というのは初めてさせて頂きました。これは見事な、大体立派なお家ですけれども、一番広いお座敷全部を神様のお部屋に、入ってからここは教会じゃないじゃろうかという感じですよね。あのどがしこありましょうかね。床の間、神様のご神前、霊神様とこう三つに仕切って今度新たに直されました。それであの、本当にまあ素晴らしいことだとこう思わせてもらうのですけれども、ところが肝心かなめの親戚兄弟子供達がきていない。娘さんが、一人、みきさんか、何かというとが孫こまかとば連れてきておるだけで、それだけのいうならば高山家の大、一つの改革とでも申しましょうかね、を、それこそ、元気な心勇気を持って改式祭、これは大変な勇気のいる事なんですよね。やっぱり。あれはするするとこう、出来れるところもありますよ。家には仏様もなからなければ仏壇もないというところなんかするすると出来るところもありますけれども、あれだけの大きなお家になりますと、やっぱり一つの歴史がものを言いますしね。代代お世話になっておる、頼み寺にも自分で自分の信念を吐露して、向こうのお寺さんにもお断りに、お断りというかこうして改式をするからという事を、いいにお願いにいかれたと言うことです。
 子供達にもそれを伝えたけれども、子供達は何とはなしに抵抗があるのじゃない。そんなわけで、総代の方達が皆昨日おかげを頂いておりましたから、それは、お参りがなくても、高山さんご一家だけにでも、改式祭が出来るのですけれども、大変なそれこそ宅祭り以上の、いわばお祭りでした。それで、お祭りが終わって皆さんに聞いて頂いたことでしたけれども、私があちらに行って頂きました、一番初めに頂きました、一枝の紅梅を頂いた。もう真っ赤なつぼみがいっぱいついておるのです。開いていない。ね。真っ赤なと言うことは真心、せきせい、赤い心と申しますから、いうなら高山さんのその、勢いのあるご信心をいったものでしょうね。真心。とにかく自分が助かるということと同時にご先祖の御霊様達も助かってもらわなければならないというところから、もう考えに考え、祈りに祈り、願いに願ってそのことが出来た。
 沢山のお金をかけて、いうならばその、床の間にちょっとお祭りしてあった神様が堂々と神様の間として改造も出来た。そして改式祭であります。それこそ、私はこの、梅の、紅梅ですね、一輪一輪が咲いて香を放つようになり、そこにはうぐいすが泊まるようになった時に、初めて、いうならば反発をしておったとか、どうもそれに抵抗を感じておった子供達も皆ついてくるようになるだろう。ですからいうなら、頂きますとか大地を拝む心と言うことにはそういう一つの勇気がいるということ。いよいよ金光教の信心が分かって、これはただ、例えば生きて折る間だけはおかげは頂くけん、金光様、死んでからは仏様といったようなことではというそういう理屈じゃない。根本的に今日言う、これは八弦、八光一宇にも等しい。世界の総人類が助かることの出来れる論理と、それから実証のおかげとが伴う、それを見極めた時にそうせずにはおられないというものなんだ。今までは簡単にこの世で金光様、あの世で仏様じゃ可笑しいじゃないかといったような風に言っておりましたが、根本的な助かり、いうならば、ね、現世にあるときもあの世にある時も合楽理念を持ってするほかにないと気づいた時に分かった時にそういう熱意というものが生まれてくる。赤い心が生まれてくる。
 この梅の花が一輪一輪開いていく時にです、そこには必ずおかげのうぐいすが来てとまる。その時に初めて皆が分かることだろうというお話をしたことですけれども、とにかく私は思う。あのなまこという、あの酒の肴によくありましょう。あのなまこをね、一番初めに食べた人は大変な勇気がいっただろうというて話したことでした。ね。グロテスクな格好しておりましょう、ノロッとしてぞっとするような感じですよ。けれどもこれがあんなに美味しいということが分かったらそれは気持ちの悪いものじゃなくて、もう美味しいものだという事ですね。けれども、1番初めにそれを食べてみて、美味しいと皆に教えた人は大変勇気がいったように、本当の意味において、改式のおかげが頂かせてもらう。誰が何というても、いうならばね、この世あの世を通して助からなんからという事と同時にです、その助かりの根本のところにです、合楽の信心のいうなら金光大神の教えの素晴らしいことを合楽理念を持って実験し、実証していきつつあるのが合楽の皆さんなんです。ですからもっともっと自分の上にも自分の周辺にも表して、おかげを頂くから金光様ではなくて、いよいよ金光様のご信心の根本のところを体得させてもろうて、高山さんじゃないけれども、勇気元気な心をもって本当の意味においての改式でも出来るようなおかげを頂いてその中から生まれてくるところの、神様頂きますであり、または大地を拝む心これなら絶対の教祖がおっしゃっておられます、おかげになると断言しておられるおかげになるのであり、また、触ることないとおっしゃられる、障ることのないほどしのおかげが約束されると思うのですよね。
                                     どうぞ